…効くなああの薬。

ああ、ホプキンス君からの依頼でな。
彼はレストレードと違って
すこぶる優秀な警察官なのだよ。

何しろ僕は他人はおろか自分でさえ
ほめない男だからな。

だってそうだろう？
この世にほめるに値する人間がそういるとは
思えない。 人間なんてみんな糞壺の底で
這いずり回る醜い蛆虫にすぎないのさ…。

そこへ行くと彼、ホプキンス君は違うよ！
高潔な人格！明晰な頭脳！端麗な容姿！
彼こそ地上に降りた最後の天使と言っても
過言ではないだろう！ああそうに決まってる！

そのホプキンス君でさえ悩むような事件が
この世に存在するというのだから世の中は
奥が深いものだねえまったく。

ああ、そうだ。
金縁で作りは華奢に見えるが、実際は
しっかりとした作りだ。
かなり度の強いものだから、これを
かけていたのはそうとうな近視の、しかも
中年を過ぎた女性だろうねえ。

そうなんだ。
まあそのへんはスコットランドヤード唯一の
エクセレントポリスメン、ホプキンス君が
語ってくれるよ。
そろそろここに来るはずなんだ。

とたとたとた。
ホームズさん、ホームズさん。
お客様ですよお客様。
とたとたとた。

おおおっ！
ど、どうだい、ワトスン君、
なんか僕の服おかしくないか？
寝ぐせとかついてないか？

ホームズさん、ホームズさん。
スコットランドヤードのホプキンスです。

あ、はい、何でしょうかワトスン博士。
いやホームズさんからワトスン博士は
甘いものがお好きだとうかがいましてね、
ハロッズのプラムプディングは少々値は
はりますがロンドン一ですな。いやいやいや
お気遣いは結構ですよ。最近、ある事件を
解決したときにですね、ほら、例の
トテナムコートロードの馬具商殺しの
件ですよ。
まああの件は本当はホームズさんのお力と
言ってもいいですね。
あ、ホームズさん、あの時はお世話に
なりました。いや、しかしあの時は
大変でしたねえ、ロッデンベリー刑事課長
からもくれぐれもよろしくとお伝えするように
と言われましてはい。
で、なんでしょうかワトスン博士。

ワトスン！
めっ！

何を言うんだっ！
大切なのはハートだよっ！
子供だろうが大学を出てなかろうが
警察官試験に合格してなかろうが、
警部としての資質に何の関係も
無い事だよっ！

ホームズさん、ホームズさん、
そのように暴力をふるわれるのはいかがな
ものかと思われますが。
確かに私も少々カチンとは来ましたわけ
ですが、そのようにホームズさんに代理で
暴力をふるわれましても私としましては
困惑するばかりでして。
どうかそのような暴力行為はさしひかえて
いただけないでしょうか。

もういいではありませんかホームズさん、
そのような暴力では解決しません。
まあ世の中には暴力で解決することも
あるわけですが、このような場合はけっして
解決しないのです。いくら暴力をふるった
ところで所詮ヒゲはヒゲなのです。
ヒゲをそり落とせるのはかみそりだけなのです。
ですからそのような暴力はもうほどほどにして
いただけないでしょうか。

いや、そんなにほめられると私も
照れてしまいますよ。
私などはまだまだ子供な身でますので
これからもホームズさんのご指導ご鞭撻を
仰いでいきたいと思っている次第ですよ。
その哀れなヒゲにかかずらわずに、
私めにもっとご指導ご鞭撻していただきたいと
思っているわけでございますよ。

そう言っていただけますと
私としてもたいへん嬉しいです。
そういえばホームズさん、鼻の手術を
されたそうですが、その後のお具合は
いかがでしょうか。
聞いたところでは何度も手術なさった
そうですが、割れたりなどなさっていない
でしょうか。

はっはっは、何度もだなんて。
二回だけだよ。

そんなことより、この金縁の鼻眼鏡の
関わっている事件について、
この愛に取り残された哀れなヒゲに
語ってやってくれないか、
ホプキンス君…。

はい、では、かいつまんで申し上げますと
ヨックスリー・オールド・プレイスという屋敷に
すむ、コーラム教授の秘書、ウィロビー・
スミスという青年が何者かに殺されたのです。
で、この金縁の鼻眼鏡が横に転がっていたと
いうわけなんですよ。

そうなんですよ、しかし犯人が
どうやって逃げたかが
皆目わからないんですよ。
スミス青年が殺された部屋は
屋敷の二階の一室なんですが、部屋には
窓も無く、 通じる廊下はひとつだけ、
その一方はスミス青年が
殺害された時にあげた悲鳴を聞いて
駆けつけたメイドが登ってきた階段で、
そしてもう一方は屋敷の主コーラム教授の
部屋。スミス青年を殺害した犯人はいわば
この二人の挟み撃ちに
あった状態です。犯人が逃走するには
どちらかの人物とすれ違わねばならないのに、
どちらも犯人を見ていないというのです。

まあ僕には大体見当がついているがね。
スミス青年の奇怪な殺され方をみれば
わかるよ。

はっはっは。
ワトスン君、ホプキンス君、
わからないかね。
ではヒントをあげよう。
虫眼鏡で火を起こせるっていうのは
知っているだろう？

そう、そしてこの金縁の鼻眼鏡…
近視用の眼鏡は凹レンズ。
それもかなり強度の凹レンズだ。
虫眼鏡は凸レンズ…。
つまりだ、
この金縁の鼻眼鏡は、虫眼鏡の
反対の役割をして低温を作り出し、
スミス青年を一瞬で凍らせたのだよ！

で、では、
犯人はいったいどこへ!?

そこはそれ、
このような高度な冷凍暗殺技術を
使うような奴だ。
きっと氷のように冷徹で冷静な奴だ…。