大方本当です。
紫式部はその日記の中で清少納言の悪口を書いています。
これは、当時の紫式部と、清少納言が仕えていた人の違いによるものです。
紫式部は、藤原道長の娘で一条天皇の女御である彰子に、清少納言は藤原伊周の娘で一条天皇の中宮である定子につかえていた女房でした。
藤原道長と藤原伊周は叔父と甥の関係に当たり、当時朝廷で激しい権力闘争を繰り広げていました。その権力闘争の最前線のひとつが、一条天皇の後宮の戦いです。
定子は中宮なので、女御である彰子よりは位は高いのですが、道長の勢力が伸び、伊周が花山法皇狙撃事件などで失脚していくに従い、徐々に彰子に圧倒されていきました。
紫式部は彰子側の人間なので定子側の人間をよく思うこともなく、それは定子の側の人間の清少納言としても同じです。また、紫式部は何かにつけて勝気で男勝りな性格の清少納言とは正反対の性格なので、それもあったのでしょう。
しかし、二人が仲が悪かったという説には異論もあります。
そもそも紫式部が彰子に仕えたのは、寛弘二年(1005)12月末から、定子が亡くなったのが長保2年12月16日(1001年1月13日)であり、定子没後の清少納言のその後は伝えられていないことから、二人の面識はなかったので紫式部の日記の言は単なる人物評論に過ぎないというものです。
ですが、ここで重要となるのは紫式部の名前です。
紫式部の名前は一般には源氏物語の登場人物「紫の上」からとられたということになっていますが、彼女がそもそも紫色のものを好んだがゆえに、紫とよばれるようになったという推測も成り立ちます。紫色のものとしては、そのものずばり染料にも使われる花、ムラサキ、ラベンダーなどが思い浮かびます。ラベンダーといえば、筒井康隆氏の名作「時をかける少女」で、主人公がタイムスリップする時にはラベンダーの香りがするということで有名です。このことから紫式部はタイムトラベラーで、時空を越えてさまざまな人々と口汚く罵り合って、仲たがいしていたのではないかという推測が可能です。もちろん清少納言ともつかみ合いをしていたと考えるのも容易なのです。
時空を越えた仲の悪さ…歴史のロマンを感じますね。
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